素材や用具の新旧の違いはあるものの、いまだにこの街で変わらない元加賀のユニホームが見られる事は本当に素晴らしい。
息子2人が元加賀のユニホームを着てくれた時は、初めてランドセルを背負った時よりも嬉しかった。あんなにも嬉しいものだとは想像ができなかった。
しかもまったく同じ場所から自転車で出掛ける。
最後の朝は、私が元加賀時代に使っていたミズノのワールドウィンを引っ張り出し、キャッチボールで締めくくりました。・・・泣けました。
私に似て優れた選手ではなかったけれども、そんな事はどうでもよい。本当に幸せな時間をありがとう。
この特別な気持ちは、親子で元加賀のユニホームを着た人にしかわからないでしょう。
もし、もしこの街で孫に恵まれたら、頭の悪い私は何も見極めず、元加賀のユニホームを着せるでしょう。
物心ついた時には身近にあった元加賀の、50周年記念誌に家族4人の名前が載ったことを光栄に思う。
野球の根本は変わらないが、野球を取り巻く環境は激変しています。どうぞ取り残されぬよう、未来へと繋げてください。
深川秋季大会以降も、さわやか都知事杯、深川送別大会、墨田シニア杯と本当に最後の最後まで楽しませてくれたこと、選手とスタッフに感謝している。
一番の思い出の試合は、前年度優勝チームとして挑んだ4年生の時の東武杯2回戦。(竹ノ塚グラウンド)
2012年11月18日、前年決勝戦の組み合わせvs竹仲。
学童の低学年ながら凄い試合展開だった。野球って凄いなと思った。
ラストシーンは勿論だが、ようやく追いつき逆転したのに再び元加賀に追い付かれ、チェンジになったのにマウンドでぼう然とする竹仲の投手の姿まで、ビデオにも残っているが、色々なシーンが脳裏に焼き付いている試合です。ダイジェスト版はコチラ(準備中)
それでは、爺さんになって夢の島にクラウンで乗り付け、目を細めて元加賀のユニホームを見ていたい、そんな日まで。。
東日本大震災直後の卒団式は自粛され、思い出のグラウンド、深川公園で黙祷から行われた。
大変印象に残る出来事だった。
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