今はスタッフや父兄が綺麗な乗用車を出して、そこに分乗して移動します。まぁ普通ですね。
さて我々の時代はというと、貨物のワンボックスに詰め込まれて何時でも定員オーバー。
確か淀野さんの車と、天野さんの車だったと記憶します。ボロくてねぇ、エンストしたりして。
夢の島の手前の橋を上がれず、降りて歩いたこともありましたよ。
横山さんが異常に安全運転で(笑)、皆で急かしたもんです。考えてみれば、大勢の子供を
預かっているわけだから当然ですね。
お尻は痛かったけど、車内は笑い声が絶えず、楽しかった思い出の1つです。大らかな昭和の時代でした。
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